黄昏色の列車に乗って。

ー僕が旅を続ける理由ー

北紀行Ⅱ-Travel records of "the Great Bear"-vol.2

ℹ︎この記事は、2014年7月に執筆した旅行記を再掲載しております。

 

 

 

目が覚めると、白樺の木々が車窓から見えた。

食堂車でのモーニングコーヒーが終わった後、ほどなくして列車はターミナルへと到着した。

北の大地、何年ぶりだろう。

数年来ないうちに摩天楼が姿を現し、近代化したその姿に驚いた。
しかし、相変わらずの場所を探し歩くと、僕が大好きな北の街はそこにあった。

僕はネオンや古い建造物が立ち並ぶ街が好きだ。
古いといっても文化財や歴史的建造物にはあまり興味がない。
昭和中期頃からバブルにかけて作られた、ゼネコンの香りのする
一寸意味のない重厚感や無駄を感じる構造物。
そして、日本が海の向こうにあこがれて作ったトンチンカンな構造物。

大分・別府や石川・片山津温泉、横浜・伊勢佐木町、大阪・宗右衛門町のバックストリート
岐阜の柳ケ瀬などブルースシンガーが歌い継いだ場所。東京だとどこだろう。最近少なくなった気がする―

かつて一人歩いた道を歩く。
全身にこだまする思い出の音楽。

Sweet little Darlin.
ticket to ride
愛のかけひき
Beyond the Eternal Ocean.......

「過去に帰らず、未来だけを」

といつも人には言っているが、一人だけの時間(とき)は許されるだろう。

懐かしく美しい景色の中でだけ、ありのままの自分に戻ることができる。

明日からはまた闘いの日々だ―

だから少しくらいいいだろう。

学生のころ通っていた小樽の寿司屋に顔を出して、運河のほとりを歩いた。

夏の海岸線をゆく函館本線は軽快に走り、あっという間に札幌に着いた

帰りの列車「カシオペア」がホームに入線してきた。
しばし洞爺噴火湾をながめながら、闘いの街、東京への帰路に着くのであったー

かつて全国を旅回りしていた時、「北紀行」という日記を書いた。
その旅をした日は僕が通う高校の卒業式の日だった。
自分らしい卒業式をと思ってひとり北海道へ旅に出た。

あれから11年

ロックンロールな性格は変えようと思っても変わらない。

続•北紀行

仕方ねぇからもうひと頑張りするか、ってな。

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北紀行Ⅱ-Travel records of "the Great Bear"-vol.1

ℹ︎この記事は、2014年7月に執筆した旅行記を再掲載しております。

 

 

 

―旅に出ることにした

思い立ったのは数日前
友人から旅行券をプレゼントされたからだ。

ここ10か月ほどの間色々あって節制、節制、、、と思っていたが
部屋のリフォームをしたり、こうして旅に出ようと思案したり
不思議と思考は以前より前向きである。

経営者になると決め込んでいた日々、今よりもスケジュールは自由に組めた筈である。
しかし、実際の生活は忙しい振りをして、自分を脅迫していただけのように感じる。

午後7時 東京・上野駅

寝台特急北斗星」が大きなエンジン音を響かせながらホームに入ってきた。
電気機関車と客車の編成だが、電源車が懐かしいディーゼルのエキゾースト・ノートを
奏で、旅情を掻き立てる。

僕は大のディーゼル好きである。

ホームには沢山の人で溢れていた。
聞いたところによると、新幹線北海道延伸の影響で上野発の夜行列車がなくなるそうだ。
冷めた目でその「撮り鉄」と呼ばれる人たちをかき分け、列車に乗り込んだ。

友人から「プラチナチケットですよ」と手渡された切符の番号をもとに
部屋の扉を開けると無機質なベッドがふたつ並んでいた。
1人用の個室もあるそうだが、そのブームによって入手ができないらしい。


夕立ちの雨雫とカメラのフラッシュを浴びながら列車はゆっくりと上野駅のホームを離れた。

缶ビールと駅弁。
男の一人旅らしくタバコと週刊誌でも買おうかと思ったが、そうなりきれないのが何とも自分らしい。

「ラウンジカー」では老夫婦グループがテーブルに酒とつまみを広げて盛り上がっていた。
在りし日の連絡船を彷彿とさせる、何ともニッポンの旅らしい光景であった。

大宮…宇都宮と列車は北へとひた走る。

黒磯駅を出たあたりで、食堂車の席が空いた。
本来は予約制なのだが、無計画な私にぴったりの「パブタイム」と呼ばれる
予約しないで軽食を楽しめる時間である。

私は基本、一人が好きである。
食事も、ライヴレストランも旅も一人が一番落ち着く。

他人に気を遣うのが大の苦手であり、また

「ジョージさん、気が利くね」

と褒められるのが大嫌いだからだ。

テーブルに着くと、すぐに定年を迎えてるだろうか
初老の男性客が「こちらよろしいですか?」と向かいの席を指さした。

「ええ。」と一言応えると、男性は申し訳なさそうに私の向かいに腰を下ろした。
見渡すと食堂車は満席だった。

小さなテーブルで何も話さないのも逆に居心地が悪い。
「どちらからですか?」とありきたりな問いをすると
「福岡です」と男性は笑顔で答えた。

「私、福岡生まれなんです」と答えると会話が弾んだ。

会話の途中で口に運ぶのが申し訳ないと思ったのか、注文したビーフカレーに手を付けず
チーズの盛り合わせを嬉しそうに私におすそわけしてくれる男性。
お返しにとピッツァ・マルゲリータのワンピースをお皿に載せてあげると
申し訳なさそうにペコペコと頭を下げワインをすする男性。

屋台やラーメン屋、国道…同郷は話題が絶えない。
会話が嫌いだ嫌いだと言いながら一人になると、こんな他愛もない会話がとても嬉しいのである。

せわしないバッシング(下げ膳)の音で周囲を見渡すと、他の乗客は皆寝台車へと戻っていて
狭いテーブルに男二人・私たちだけ。広い食堂車を貸し切っていた。

ウエイターやシェフにも夜があるだろう、せっせと片づけをする姿に追い出されるように
「素敵な旅に」と空のグラスで乾杯して、食堂車「グランシャリオ」を後にした。

主要駅での客扱いを終えた寝台特急北斗星」は青函トンネルに向け
夜の津軽海峡線をひた走っていた。

幼き頃から憧れた寝台特急の個室だったが、一人の部屋は何故か人恋しくなる。
「ラウンジカー」を覗くと、老夫婦たちの「宴会」はお開きになっていてガランとしていた。
食堂車で出会った男性も、たくさんの乗客も引き波のように自室へもどり床についたのだろう。

貸し切り状態の「ラウンジカー」で一人いつものようにもの思いに耽った。
時折踏切のボヤんとしたあかりが流れていく暗闇の窓ガラスのサッシに
カツカツと指を鳴らして枕木の音と好きなRhythm&Bluesのリズムを重ね合わせる。

退屈しないようにと、いつもIpodには大好きなSoul MusicやRhythm&Bluesをパンパンに詰め込んで持ち歩いている。
イヤホンは自慢のアメリカ・JBL製。
しかし、いざ旅に出るとその土地の空気にまで音色を感じて
一度も利用しないことばかりだ。

カタカタと揺れる列車、車窓を流れ、去っていく暗闇

ああ、自分だけの時間だ。これが自分なんだと
誰にも見せない自分がここにいることを一人感じる。

夜汽車は長いトンネルへ
そして、北の大地へ―


soon.......

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セカンドトリップ。

Fri,January 23,17:40

 

金曜日、茅場町にあるTトラベルの東京オフィスは慌ただしさを見せていた。

週末、ましてや月末近くの夕方は戦場である。

僕も例外なく忙しく「手配」をしていた。

昼飯のジンギスカンは味の羊ヶ丘?、ラーメンは彩未?駅弁は遠軽で積み込みOK

宿は結局何処にしよう。

あー。網走17時到着だとオーロラ(流氷観測船)には乗れないなぁ。。

 

他でもない。この仕事を引き受けたのは旅ができるというインセンティブがあるからだ。

エセエージェンシー、赤星トラベルである。

 

Sat,January 24,10:00

羽田空港

NH59便は定刻で新千歳空港へと飛び立った。

新千歳到着後足早に"快速エアポート”に乗り札幌駅前のホテル”センチュリーロイヤル”にチェックインした。

 

この日は営業の仕事が入っていたため、現場に向かうが、頭の中は既に明日になっている。

 

除雪され、路肩に積み上げられた雪、発熱させないと雪で埋もれてしまうのか、いまだにLEDではなく電球がはまっている信号機

ススキノのネオンに大通公園

 

こんな日常なサッポロが大好きだ。

 

22:30

市内のホテルで仕事を終え、カメラ片手にホテルまでの道のりを歩く。

ズッコケた。

その後も2回ズッコケた。

 

その筈、重たいアタッシュを片手に持ち、もう片手は買ったばかりのミラーレス一眼を優しく保護する手。

完全に重心はずれている。

靴はちょっとオシャレしたスリッポン。

ダンスフロアで踊れるソールだから雪国ではスケートと変わりないことは馬鹿でもわかる。

 

計5回ズッコケてホテルに戻る。

膝は真っ青だがパウダースノーのおかげでスラックスは破けていない。

結果オーライとしよう。

 

ホテルの窓からJRタワーと札幌駅が見えた。

明日の1番列車で旅に出られるんだ!

日報を書き終え、風呂に入り

切符と目覚ましを枕元に置き、床に就いた。 

時間は夜の12時を回っていた

 

Sun,January 25,7:02

気温-4℃の札幌駅。

釧路行きの始発”スーパーおおぞら1号”に乗り込んだ。

今回の旅の目的は”自然に触れること”

レンタカーで旅ができるほど時間の余裕はないが北海道の冬らしい景色を楽しみにしていた。

 

どこまでも続く銀世界、地平線から顔を出した太陽

そびえる木々ー、地面の雪を巻き上げながら疾走する特急列車ー

その光景からは想像できないほどポカポカとした車内は眠気を誘い、仕事の疲れをしばし癒した。

キラキラとした光に目が覚めると列車は既に白糠を通過し終着釧路駅の手前、釧路港のあたりを走行していた。

 

11:20

国鉄時代のものだろうか、レトロな制服を身にまとった駅員さんがホームでカランカランと金を鳴らしながら「発車しますよー!!」

と雪がこびり付いたホームを走り乗客に知らせている。

全国でレトロな列車やSLは走っているが、SLにストーブがついた客車を引っ張る列車はおそらくここだけだろう。

国の天然記念物の”タンチョウ”などが生息する釧路湿原を走る「冬の湿原号」という列車だ。

快晴の道東路、標茶、摩周と湿原の真ん中を走る汽車。

エゾシカ、キタキツネ、タンチョウやその足跡が車窓に姿を現わす度に乗客からは歓声が上がっていた。

車内の石炭ストーブでは乗客が持ち寄った魚やイカの干物を焼く香ばしい香りがたまらない。

こんな素敵なローカル線、ずっと残ってほしいー

 

川湯温泉でSLを下車し、今日の宿がある網走まで鈍行の汽車に乗った。

北海道の夕暮れは早い。

オホーツク海と平行に走る浜小清水駅に着いた頃は既に周りは薄暗かった。

 

網走に向けてほぼまっすぐの線路を走る汽車、

 

ー流氷、見えるかなぁ。

 

汽車に乗っていたほとんどが観光客。

みな同じ思いだろう。

 

 

にわかに歓声が上がったー

 

 

瞬雪の積もった草原と勘違いするほどびっしりと陸まで接岸した流氷。

 

黄昏時の茜色と藍色の空の色が余計にそれを幻想的に魅せる。

 

何十分だろうか、藻琴駅を過ぎるまでずっと車窓にくぎ付けだった。

 

 

 

 17:14

塗色が見えなくなるほどに大量の雪が着雪した汽車は網走駅にゆっくりと到着した。

 

「あーそー、着いたの?じゃあ迎えに行くけん待合の奥の方で待っといて」

 

今日宿泊する宿の主人に電話すると迎えに来てくれるとの事

ホームページには徒歩7分(ショートカット)と書いてあったが主人が駅まで来てくれたのは25分後だった。

 

「背広なんぞ着て寒かろう」

 

長靴を履いた主人は踏み固められた雪の絨毯の上をさっさと歩いていく。

滑りながら僕も追いかかる。

主人に気づかれないように一度転んだのは内緒の話。

 

昔の道具屋さんというか、工務店のような趣の”民宿ランプ”

親切なスタッフの方が「手袋なしだと凍傷になるよ」

と仕事部屋のストーブにあたらせてくれた。

 

宿代とお勧めのパンがあるとの事なのでパンを予約して先に会計を済ませる。

その額なんと2,000円。

ネットカフェのパック料金が2500円の時代。

暖房費の概念がある北海道に於いて破格も破格である。

 

夕食は地場のものをと思案しているとお勧めのお店を教えてくれた。

ぐるなびの写真には「ラーメン専門店」と書いてあるのに地元の方も集う

有名な海鮮居酒屋との事。

宿を出発する際ご主人が

「凍傷になるから、これ持って行くんだ」

差し出されたのは畑仕事を終えたばかりのようなまっ茶色の軍手だった。

気持ちはありがたいが、少しいいコートを着ていたので

「私結構暑がりなんで大丈夫です!!」

とゆるーくお断りすると

「網走なめちゃいかん、凍傷になるよりましじゃ、持って行かれ」

 

 

親切なことは確かだが、こんなにエキセントリックな宿は初めてである。

しかし彼らからするとスーツにロングコート、革靴でライダーハウスのような宿に

泊まりに来る僕の方がよっぽどエキセントリックなのだろう。

 

20:00

すすめられたエキセントリックな「ラーメン専門店」”いしざわ”に到着し熱燗を注文した。

例の軍手を外そうとするが、手が硬直して脱げない。

結局メニューを見るふりをしながら手が温まるのを待った。

 

ようやく動くようになった手で酌をして熱燗を頂きながらメニューを見る。

しかし、うにもいくらも蟹もない。

「あの、すいません地場のものを食べたいんですがうにとかいくらって…」

と尋ねると店主は

「流氷が接岸しとるのにそんなもん今は海におらんよ。ホッケでも食べていき。蟹も冷凍でよかったら料理してあげる。まぁまぁうまいよ。」

 

どこまでエキセントリックな街なんだと思いつつ、ここまでの会話を思い返してみた

 

宿までショートカットして7分=迷いやすい→迎えに来てくれる

待合の奥→暖房が近い場所

パンのおすすめ→近隣に店という店がない

ドロドロの軍手→気温-18℃。本当に凍傷になる

地場の料理→地場で取れないものは出してはならない。

 

この人たち、実に真っ当であった。

 

お銚子を何本かおかわりして、真ホッケの焼き物と

とても上手に焼き上げた”冷凍の”蟹。

地元の方と店主の他愛もない会話。

 

その飾らない、人間らしい暖かな空気にいつのまにか引き込まれていた。

 

 

そろそろ帰ろうと、お会計をお願いしたら

 

1900円

 

「え、安くないっすか??」と尋ねると焦って計算しなおす女将。

でも結局1900円だったようだ。少し表情が悔しそうなのが素敵だった。

 

宿に戻って自室へ入る

ブラウン管のテレビ、ちゃぶ台、黒電話に畳。

 

朝札幌を出発してからここに来るまで、タイムマシンでも乗ったかのような

不思議な感覚にとらわれた。

 

美しい景色、めったに見ることのできない動物、流氷、不思議な宿に不思議なラーメン専門店。

祖母の家のような部屋でぼーっとテレビを見ている僕。

 

気が付けば旅をして、たくさんのものや出逢った人に豊かにされてるなぁ、、

と悦に浸っていた時は既に夢の中だった。

 

Mon,January 26,9:00

支度を終え、軍手のお礼とあいさつを済ませ”民宿ランプ”を後にした。

 

札幌行の特急”オホーツク4号”は既にホームに入っていた。

札幌を経由して新千歳空港へ。

もう少しゆっくりしたかったなと思いながら”サッポロクラッシック片手に

遠軽で注文してあったかにめしを頬張り、旅を締めくくった。

 

次来るときは雲丹やイクラをねだりたいなぁ、なんて考えながら

 

 

ボンボヤージュ。

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*******travelrecord****************************************
Places visited : Haneda Airport-New Chitose Airport,
Sapporo City,Sapporo Station,via Kushiro Station,Abashiri Station

Abashiri City

Fly

NH59 TYO(HND)10:00 →CTS11:35  on B777-200

NH72 CTS17:00→TYO(HND)18:40 on B777-200

 


LUNCH

@Sapporo


Matsuo Jingisukan Sapporo Ekimae, Sapporo - Restaurant Reviews, Phone Number & Photos - TripAdvisor

Japanese Lumb and vegetable dish 1,280JPN

@"駅弁Ekiben" On the train(box lunch sold at a Engaru station.)Club and Rice 1,000JPN

 

HOTEL


Century Royal Hotel (Sapporo, Japan) - Hotel Reviews - TripAdvisor


Minshuku Lamp in Abashiri, Japan - Lonely Planet

”民宿 ランプ” Staying overnight without meal 2,000JPN

****************************************Buon Viaggio!*****

 

後編 -追憶- 友情・仕事・カネ

 ー手紙

R君へ

 

この度は仕事誘ってくれてありがとう。

 

僕は今大阪から北海道に向かう寝台列車の中にいます。

 

昼間列車の中で食べたハンバーグステーキが美味しくて感涙してました。

 

これから北海道、シンガポール、香港、マレーシア、福岡、大分と

各地へ旅回りします。

はたから見るとただ遊んでいるようにしか見えないだろうけど、その通りだと思います。

 

3年前、外食で社長になりたいと現場で泥みたいに働いていました。

2年前、社長になったはいいけれど、見込みのないビジネス(ビジネスじゃないと後に気づきました)

にはまり込んで迷走していました。

1年前、Mさんやら、Gさんやら、Oさんやらに媚びて人の褌で相撲を取ろうとして

最後はとりまく非道な連中に吹き飛ばされました。

 

2014年11月の今日、カタカタと揺れる寝台列車の中で大酒も飲まず夢もかたらず

ただ車窓を流れ、過去となって消えてゆく景色や季を受け容れ、穏やかな心でこうやってメールを打っています。

 

チャンスとそのタイミングはとても大切です。

でも今の自分はこの現実を素直に受け容れ、何も曲げずに自分のものにして、静かに一歩一歩歩んで行くことが天命だと思っています。

 

先日のOさんの件も然りですが、誰に何を言われようと変わらない、”ジョージ”という人間が今はちゃんと居ます。

 

R君には話したかな?僕はオーバードーズという病気でした。

2010年、独立を志してMサービスに入社する少し前くらいから、独立と現実の狭間のプレッシャーと孤独に耐え切れずに病院に相談に行きました。

そこで処方された薬が僕の人生を狂わせる死の薬になりました。

 

最初は眠れるから安心して1錠、今日はつらいから2錠、、と

博多に赴任してからは友人も居ず、その薬しか頼れず倍々ゲームのように

終いには片手から溢れるほどの数の薬を無理やり飲みこんでいました。

 

博多で事故をしたのもその薬に幻覚作用があったからです(日本では認可されていますがアメリカでは禁止されているそうです)

 

そのことが誰にも言えずに、夢をかなえ、東京に戻りました。

僕が選んだMサービスの飲食業務委託というフィールドは間違っていました。

そして、その頃には完全に僕の身体は薬が支配していました。

 

今年の5月、任された店の売り上げも良くなり、新しい仲間も増え僕の周りからも援軍がそろい始めました。

大好きな彼女も居ました。R君みたいな僕のことを応援してくれる仲間もいました。

このままではいけないと思い、人生をやり直したいと思って薬を絶とうとしました。

 

しかし、薬はそう簡単には許してくれませんでした。全身に蕁麻疹が出て、呂律も回らなくなり

最後には高熱が出て倒れてしまいました。

 

そこで助けてくれたのがR君、彼女、大阪の友人、両親と兄弟でした。

 

全て投げ売ってでも、人生やり直そうと思いました。

専門の病院にかかっても3か月かかりました。

 

今もこうして旅をしているとお金を貸してもらっているR君や未返済の業者さんに

申し訳ないと思っています。

 

しかし、僕は「経営者になって人を幸せにしたい」と言っていたものの

自分自身は一体何をしてきたんだろうと考えました。

今日まで関わった人を誰一人として幸せにできていないからです。

 

僕は旅、音楽、食事が大好きで、それらを生業にしたい。

そこで人たちがつながりお金が生まれることで人を幸せにすると決めていたんです。

 

でも実際の生活は、自分の家にはテレビもない、煙草もパチンコも女遊びもしない

普通に働いている人を馬鹿にして、自分をストイックに見せかけて

頑張っているふりだけしてる約束も時間も守らない、ただの心の貧しいだらしない男でした。

 

去年の年末、Mさんやらに遊ばれて、商売が完全に頓挫し今年5月に薬を絶つまでの間

死にたいとしか思いませんでした。

少なくともこの業界には自分は必要とされていないと思っていました。

 

本当に貧しい人間でした。

 

だったら、どうせ死ぬんだったら、自分らしく生きて死のうと思い今年の7月旅を始めました。

死んだら保険金で皆さんにもお金が返せますし。だからMの仲間に保険を解約しろと言われても

嘘をついて解約しませんでした。

 

思えば憧れていた寝台列車や緑豊かな山里にも程遠い生活を送っていたことに気が付きました。

日本人として大切な四季や人の温かさ、すべて忘れていました。

 

こんな自分が経営者はおろか、人のことを幸せにできるか??

当たり前ですがNOですよね。

 

自分が最低限ゆたかだから他人に対してやさしい気持ちになれたり、意欲をもって何かを成し遂げようと頑張ったりできる。

 

僕は根本の部分で、人として腐っていました。

 

だから、外見も内面も今年いっぱいと期間を決めて徹底的に磨くことにしました。

きれいな景色を見て、やりたいことをやり抜いて、たくさんの人と会って

 

声はしっかりとして、体重は13キロ落ちました。

 

年末、心配をかけている両親と兄弟に、少し深くなった瞳と綺麗になった体を見せて再起を誓って来ます。

 

Oさんのことは、女性関係のことも含め、男として小っちゃ過ぎてどうでもいいです。

何が腹が立つかというと、僕の仲間を大切にしてくれないからです(T君も含めです)

そして、物事や行動の根源がすべて自分自身の恐れからくる疑いから始まり、

自身で否定しているのに最後はいつもお金で解決するところが尊敬できません。

 

ただ、感謝は幾らでもできます。今までのこと、すべて感謝しようと思っています。

その他いろいろあったことは全部忘れました・笑

 

今のジョージは何にも考えていないし、何も覚えていません。

 

振り返ったら荒れた道を歩いてきたなぁと思うくらいです。

 

こんなつまらないメールを送りつけちゃって、ひいたでしょ?

でもR君には話しておきたいと思って。

 

普通の人じゃなかった僕がようやくゼロに戻れそうです。

 

これから僕がやっていくべきことはシンプルです

 

来年から一生懸命働いて借金を返して、貯金をして、投資や結婚を具体的に考えられるようになりたい

他人から信頼される人間になりたい

 

それだけです。

 

目立ちたいとか、今までのような浮ついたのは卒業です。なぜなら関わる人を幸せにできないし

巻き込んでしまうと人の人生に責任を持てないからです。

語弊があるといけないので一応言っておきますが、稼ぐためには黒くていいと思います。

商売って残酷なものだと思うし、ゼロから1を作るときにきれいごとなんか言ってられないから。

 

でもOさんやMさん、Iさん(Mサービスの社長)と僕が目指すものが絶対的に違うところ

それは、自分と身近にかかわってくれる人から信頼され、愛されること。

自分と関わることで得をしたりゆたかになってもらうこと。立場が弱い人は特に大切にしたい。

 

そこにお金を結びつける。出来なければ徳島に帰ってフリーター

 

死ぬなんて二度と言わない。

だって今日食べたハンバーグステーキが美味しかったから。

今度は社員旅行や新婚旅行でみんなと一緒に食べたいと思うから。

 

もうブレない、媚びない、都合が悪くなったら煙幕巻いて逃げたり投げつけたりする先輩の悪いところをマネしない。

これらを僕の商売感の根底にしようと思っています。

 

折角頂いたお話だったので、僕はほかの方とお仕事の約束はしていません。

 

こんな僕で良ければ具体的な仕事の話させてください。

でも、もし仕事のご縁が無くても一生友達でいてね。

 

同じ時期に同じ会社で苦労した同志だと思ってるので。

 

お互い素敵な人生にしましょう!

いつもありがとう。

 

2014.11月23日 トワイライトエクスプレスの車内にて

 

酒こそ飲んでいたものの、精神はとても穏やかで、何にも負けない気がした。

そうだ、僕の強さはここから来ていたんだ。

旅が好きで、音楽が好きで幸せな食卓が大好きだった。

そうした幸せにかかわるために経営者になったんじゃないかー

 

この後、R君から入電があったが、

 

「何にも気ににすることないっすよ!」 

 

それだけだった。

 

Sun, November 23, 9:52 

寝台特急トワイライトエクスプレス”は 定刻で札幌駅に到着した。

少し雪のちらつく北の大地は、ささくれた心を癒してくれるような

凛とした冷たい空気で僕を包んでくれた。

 小樽、札幌と町を巡り、ひと時の間大好きな北の街をひとり歩いた。

 

19:15

新千歳空港

SKY726便は定刻にフライトした。

津軽海峡を渡ったあたりだろうか

まばゆい明りが星座のように陸地に点在していてとてもきれいだった

その時、自身の手帳にこう綴っていた

 

飛行機の窓から見える景色がこんなにも綺麗で
最果ての街の澄んだ空気が好きで
夜汽車の中で注文したハンバーグステーキが美味しかったな

フライトが終わると愛する彼女がロビーで待っている

これ以上の幸せはない。みんなありがとう。 

-平穏とかがやき-

 

数日後、R君と新宿の喫茶店で会った。

仕事の話がしたいと連絡があったからだ。

 

「ジョージさん、前商売してる時に、私の先輩と良くなかったんでしょう?そんな状態じゃ今来てもらっても困るんですよね。お互い幸せにならなきゃいけないんで、今後どうしましょうか」

 

化けの皮が剥がれた。

 

おまけに

「あんなメール、別にいらないんすよねー。Oさんは僕にとってただのスポンサーだから何をしてようとどうでもいいですし。」

 

前職で同じ釜の飯を食い、昼夜を問わず仕事に明け暮れ、僕は仕事に青春を捧げた。彼は妻と子が家から出て行った。

同じ気持ちで苦労していたと思っていた。

しかし、彼と僕の違いがわかった。

彼は都合が悪くなると愛や人情を捨てられる。

商売人たるもの関わる人を幸せにしなければならない。

リスクを切り捨てたり、人に投げつけてはならない。

リスクが業績に影響を及ぼさないように(影響を最小限に抑えるために)努力をするのが経営者の仕事だと思う。

 

お金には色がついていて、汚い金を財布に入れてはいけない。

そこがぶれると人は腐る。

 

だが、腐った人間関係でも、汚い色の金でもそういった価値観で生きていくのならばそれでいいのである。

 

ただ、僕は違う。

 

この日、決めた。

これから自分がかくあるかということを。

 

卑しくないこと

 

人から喜ばれることだけをやること

 

友情をカネに換えないこと

 

 

この3つを胸に刻んで、それらを逸脱したり、グレーな生き方はしない。

飢え死にしても愛とロマンで生きていくと決めた、あの日の誓いー

再度それらを胸に刻んだ。

 

 もし、列車の中で"手紙"を書かなかったらそのまま仕事をして、以前と同じようなだらしない関係になっていただろう。

 

 

決別、それは新たな旅の始まりだ。

 

 

人は旅をしながら成長してゆくのかな。

 

たとえ茨の道であっても、その道の先に穏やかな日差しが注ぎ、花咲く道があることを願いながらー

 

 

 

 

ボンボヤージュ。

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前編  -追憶- 友情・仕事・カネ

Fri, November 21, 2014 19:30

 銀座の蕎麦屋で僕は友人であり前職の同僚だったR君と会食をしていた。

 

26歳のR君は港区に住み、六本木に事務所を持ち、こ洒落たカジュアルルックで営業をする

不動産の仲介で一山当てた、いわばイケイケの経営者である。

この日僕はRから仕事のオファーを受けた。

 

「ジョージさん、あなたと一緒にお仕事させてください!あなたの力が必要です」

 

R君は同僚時代から僕に対して物件を回してくれたり、僕が経営者になってからも時間が合えば飲食店の視察や物件を見て回り、昨年僕が経営する会社が窮地に追い込まれた時も用立てを手伝ってくれた間柄だ。

その反面、彼が修得したノウハウは本物の不動産ではなく、内装や物件に付加価値をつけて転貸するという特殊な商売だった。

そして2013年秋、僕の商売が窮地に陥った、最後の引き金を引いたのも彼だった。

 

「ジョージさん、上野店の業績芳しくないから、転貸(又貸し)しちゃえばいいじゃないですか?私紹介しますよ!業界で物凄く強い方がパートナーなんで安心ですし」

 

その言葉を信じたことが間違いだった。

紹介された経営者は実は業界の中ではブラックリストに載っている輩で

業者やアルバイトへの費用未払いは当たり前、何か月か営業し、売り上げから小口、お釣り銭まで奪ってトンズラする行為を何十店舗と繰り返していたとんでもない奴らだった。

 

店舗、金、愛する従業員すべて失ってしまった僕に彼は

「ジョージさんだったらもう一度絶対できますよ!こんなところで立ち止まらないでください」

と励まされた。

 

しかし僕は人間不信というか、自分が追われるべき身でもないのに業者に追い回され、信頼していた人たちに裏切られ、生きていること以外自分が何をしているかもわからない僕の精神は完全にアンコントロール状態だった。

2014年が明け、知り合いの会社を手伝いながら借り入れをして事業の整理をしながら心と身体の具合を徐々に整えたが

夢の中で取り立てや悔し泣きをして僕を頼る従業員の夢を頻繁にみるなど傷は消えなかった。

 

独立を志したのが2003年、それ以降趣味の音楽や旅もせず、貯金や視察などの自己投資に費やし、気が付いたら浦島太郎のような自分になっていることに気が付いた。

 

お金もない、何にも持っていない-

でも、生まれた時も死ぬ時も人は何も持っていないんだ。

だったら少しだけ自由になろう-

 

そう決めて旅に出ることにした。

 

Sat, November 22, 8:20

東京駅 

新大阪行”のぞみ209号”に乗り込んだ。

終着新大阪で乗り換え大阪駅へと向うと

8001レ”寝台特急トワイライトエクスプレス”は既にホームに佇んでいた。

濃い緑のボディーに黄金の帯、日本で最高の空間とサービスを提供する列車としての誇りに満ちていた。

 

ー幼き頃憧れたこの列車で北の大地まで行こうー

 

 

この旅のなかで何かセオリーが生まれる気がしていた。

 

11:51

寝台特急トワイライトエクスプレス”は定刻で大阪駅を発車した。

淀川を渡り「いい日旅立ち」のBGMとともに「皆様の夢を乗せて~」と車内放送が流れた。

 

僕には夢があるのかな、、なんて考えながら昼食を取るべく食堂車”ダイナープレヤデス”の開店を待っていた。

落成から3,40年は経過しているだろうか、年季の入った食堂車はステンドグラスや真鍮の調度品、カーテンなど、何とも言えない上品な空間を醸し出していた。

車窓左手、琵琶湖が見え始めたころに注文したハンバーグステーキが運ばれてきた。

抜けるような快晴の青空、カタカタと揺れる車窓に移りゆく景色

そして、手作りのハンバーグステーキ

 

そのハンバーグを一口頬張ったとき、僕は感極まってしまった。

 

ー会社を興して親孝行するぞ!従業員増やして、店舗増やして企業をつくるぞ!金借りてどんどん会社を大きくするんだ!

だから、平穏はもう少し後で…旅行や自分の好きなものを買う贅沢なんか敵だ!会社を大きくすることだけを考えろ!家でテレビを見ている生活なんか暇人だ!ー

 

そう自分を痛めつけながら、痛みを感じないふりをして目をつむって暗闇の中を突っ走ってきた。

 

 

全身が麻痺するほどストイックだった自分が列車に揺られながら窓からあふれる木漏れ日を浴びながらハンバーグステーキを食べている…

 

たくさんの言葉を探したが、「幸せ」しか思い浮かばなかった。

 

トワイライトエクスプレス”は湖西線を離れ、北陸本線をひた走っていた。

”シングルツイン”という個室で車窓に広がる立山連峰や日本海、沿線の美しい風景を独り占めしてたり、うとうとしたりと悠悠自適な旅を楽しんだ。

 

日が暮れ、直江津を越えたあたりで食堂車でのディナーが始まった。

フレンチのフルコースを頂き、大好きなワインを2本空けた。

 

列車は夜のとばりの中を羽越線津軽線と日本海沿いを北上していた。

 

誰もいない、ひとりだけの部屋。

枕木の音がカタカタと響き、クラシックのBGM、優しく光る読書灯

 

この旅の大切な目的、それはこれから自分がどうあるか、どう生きていきたいのか考えることだった。

 

Rに手紙を書いた。

とても長い手紙になった。

 

後篇に続く

 

 

ファーストトリップ。

Thu,January 1,16:00

羽田空港でセキュリティチェックを終えた僕は、ラウンジで電話を取った。

 

「母さん、ごめん。飛行機オーバーブックで乗れない。明日新幹線で帰るわ」

 

残念がる母に申し訳なく思いつつ、僕はそのままボーディングブリッジを渡り

NH285便に乗り込んだ。

 

新年の計は元旦にあり。

ってことは、今年も嘘つきルンペン生活の幕開けである。

 

機内は幼い子供を連れた客らで賑っていた。

鞄には時刻表、携帯には「空港で待ってるぜ!」旧友からメールが入っていた。

 

18:15

NH285便は故郷の空港へと着陸した。

ターンテーブルの向こうには親友とその妻が笑顔で待っていた。

 

「久しぶりだねぇ!!元気ー」

「おぉ、なんとかな!!奥さんも元気そうで」

「えぇ、あけましておめでとうございます。結婚式振りですね」

 

「で、実家は大丈夫なの??」

「あぁ、なんとかな。悪いがスーツケース一晩預かってくれ。」

「OK!もうみんないつもの店で待ってるから」

 

両親には「東京で会社を興してくるから」と言い残して家を出て行って以来、ろくに里帰りもしない僕のことをとても心配し、帰りを待っている。

しかし、子供とは残酷なものである。

 

たまには友人と他愛もない酒を飲んで、そして旅に出たい-

 

乾杯をして、結婚した友の奥さんにご挨拶、髭を生やしたり、髪の毛が少し寂しくなった奴もいた。昔のように下品な女性とのやりとりは話せないが、みんな少し歳をとったんだろう。

少しぎくしゃくしたその宴席が逆に居心地が良かったりする。

 

酒も進み、いい感じに出来上がってきた。

これからもっと盛り上がる-

 

 

 

…みんな、そろそろ行くわ。

 

「は?どこへ????」

 

いや、道後の温泉に浸かりたくてな、少し汽車にでも乗って、雪でも見ようかと…

 

元旦早々相変わらずだなぁ、と笑いながら友たちは見送ってくれた。

田舎道をタクシーで飛ばし、小さなターミナル駅にたどり着いた。

都会ではラッシュでごった返している時間だが

その駅には最終の2両編成のディーゼル特急がまばらな数の乗客を乗せ僕を待っていた。

 

20:33

高松行の特急”うずしお30号”は大きなエキゾーストノートを奏でながら定刻にホームを離れた。

缶ビールに手帳、時刻表。

親と喧嘩をして家出した日、自転車を飛ばした国道

暗闇の車窓の向こうには学生の頃バイクで攻めた峠

確かこのトンネルのを抜けると穏やかな播磨灘が見えるんだ-

懐かしい風景から想い出が蘇る。

 

Wed,January 2,0:54

特急”しおかぜ29号”は定刻で終着、松山駅に到着した

駅前には何もなく、路面電車も終わっているので線路を歩いた。

松山城公園、市民会館は初恋の人と出会った場所だったな。なんて澄んだ空を見上げながら

辿り着いた大街道の居酒屋で独り新年を祝い、道後温泉本館の開館まで時間を潰した。

6:00

”ドンドドン”と太鼓の音が時報を知らせ、道後温泉本館が開館した。

外国人や近隣の旅館の客もいるが、道後本館の朝風呂はいつも地元の人たちの散歩コースだ。

神の湯に浸かり、だだっ広い脱衣場で振る舞われる熱いお茶をすすれば

地元民になれた気がする

「兄ちゃん大荷物やのぅ」と気さくに話しかけてくる老人。

このひと時だけは観光地らしくない光景が大好きだ。

 

半世紀はこの街を走り続けているだろう、木床の路面電車に乗り松山駅に戻った。

鯛めし、せんざんき…愛媛には沢山名物はあるが、僕はジャコ天が大好きだ。

「おがた」のジャコ天はすり身の中に海老や蟹の殻まですりおろされていて

その食感がたまらない。

駅のうどん屋さんのレベルも高いのだが、このうどん屋さんのおばちゃんに

「これ入れて!」とキヨスクで買ったジャコ天を持っていくと

だまってスライスしてうどんに乗せてくれる。

瀬戸内の人特有の不愛想に感じる態度だが、実はとても親切なのである。

 

7:20

あまり両親を待たせるわけにいかず、特急”いしづち8号”に乗り込んだ。

今治まで車窓左に望む瀬戸内の穏やかな海、高縄半島を走り終えると車窓左に高く聳える霊峰石鎚山

このまま途中下車して…いい歳になっても想いは変わらない。

 

11:25

故郷の駅に戻ると、母が出迎えてくれた。

「大変だったわねぇ。お疲れ様」

「あぁ、昨日はごめんね。参ったよ。朝一の新幹線だから早く着けてよかった」

「あれ、関ケ原で大雪だってニュースしてたけど新幹線は大丈夫だったの??」

「あ、、降る前に通過できたんじゃないかな。眠たいからちょっと休ませてもらうわ」

もともと嘘が下手な性分、この日はボロが出ないよう

口数を減らしたのは言うまでもない。

 

スーツケースはどうしよう。

そんなことを考えてるいると親友が

「昨日東京で預かったやつ!!遅くなってごめん !!」

 

と実家まで持ってきてくれた

 

 最高の友と、最高の初旅ー

 

初旅、今年も自分らしく。

 

ボンボヤージュ。

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Places visited : Haneda Airport-Tokushima Airport

Matsushige Town,Tokushima Station,via Takamatsu STN,Matsuyama Station


Tabiwari 45 | Domestic | ANA - Japan

Reserve and purchase must be made at least 45 days prior to departure.

 ANA NH285 TYO(HND)16:30 -TKS17:50  on B737-800  JPN

 ANA NH1090  TKS16:25-TYO(HND)17:40 on B737-800  JPN

Rail way;Birthday pass(Unlimited ride available only for JR Shikoku line) 10,280 JPN

Dogo Onsen Main Hall - Matsuyama - Reviews of Dogo Onsen Main Hall - TripAdvisor


Okaido Shopping Street (Matsuyama, Japan) on TripAdvisor: Address, Reviews


Local cuisine - Review of Kakehashi Matsuyamaten, Matsuyama, Japan - TripAdvisor

 

****************************************Buon Viaggio!*****

旅に出よう。

皆さんお久しぶりです。

1年数ケ月振りにBLOGに触れました。

 

2014年から2015年へ、新たな年の幕開けー

 

そんな中、ずっと答えを探して彷徨ってきました。

 

確かなものはないが、自分の中で変わらないもの

 

ー旅をしたいー

 

熱き想いは馳せるだけでなく、夜汽車の如く遥か彼方に向けて静かに動き出した。

 

2015、自分らしく、この路を歩もう

 

 

ボンボヤージュ。

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