黄昏色の列車に乗って。

ー僕が旅を続ける理由ー

後編 -追憶- 友情・仕事・カネ

 ー手紙

R君へ

 

この度は仕事誘ってくれてありがとう。

 

僕は今大阪から北海道に向かう寝台列車の中にいます。

 

昼間列車の中で食べたハンバーグステーキが美味しくて感涙してました。

 

これから北海道、シンガポール、香港、マレーシア、福岡、大分と

各地へ旅回りします。

はたから見るとただ遊んでいるようにしか見えないだろうけど、その通りだと思います。

 

3年前、外食で社長になりたいと現場で泥みたいに働いていました。

2年前、社長になったはいいけれど、見込みのないビジネス(ビジネスじゃないと後に気づきました)

にはまり込んで迷走していました。

1年前、Mさんやら、Gさんやら、Oさんやらに媚びて人の褌で相撲を取ろうとして

最後はとりまく非道な連中に吹き飛ばされました。

 

2014年11月の今日、カタカタと揺れる寝台列車の中で大酒も飲まず夢もかたらず

ただ車窓を流れ、過去となって消えてゆく景色や季を受け容れ、穏やかな心でこうやってメールを打っています。

 

チャンスとそのタイミングはとても大切です。

でも今の自分はこの現実を素直に受け容れ、何も曲げずに自分のものにして、静かに一歩一歩歩んで行くことが天命だと思っています。

 

先日のOさんの件も然りですが、誰に何を言われようと変わらない、”ジョージ”という人間が今はちゃんと居ます。

 

R君には話したかな?僕はオーバードーズという病気でした。

2010年、独立を志してMサービスに入社する少し前くらいから、独立と現実の狭間のプレッシャーと孤独に耐え切れずに病院に相談に行きました。

そこで処方された薬が僕の人生を狂わせる死の薬になりました。

 

最初は眠れるから安心して1錠、今日はつらいから2錠、、と

博多に赴任してからは友人も居ず、その薬しか頼れず倍々ゲームのように

終いには片手から溢れるほどの数の薬を無理やり飲みこんでいました。

 

博多で事故をしたのもその薬に幻覚作用があったからです(日本では認可されていますがアメリカでは禁止されているそうです)

 

そのことが誰にも言えずに、夢をかなえ、東京に戻りました。

僕が選んだMサービスの飲食業務委託というフィールドは間違っていました。

そして、その頃には完全に僕の身体は薬が支配していました。

 

今年の5月、任された店の売り上げも良くなり、新しい仲間も増え僕の周りからも援軍がそろい始めました。

大好きな彼女も居ました。R君みたいな僕のことを応援してくれる仲間もいました。

このままではいけないと思い、人生をやり直したいと思って薬を絶とうとしました。

 

しかし、薬はそう簡単には許してくれませんでした。全身に蕁麻疹が出て、呂律も回らなくなり

最後には高熱が出て倒れてしまいました。

 

そこで助けてくれたのがR君、彼女、大阪の友人、両親と兄弟でした。

 

全て投げ売ってでも、人生やり直そうと思いました。

専門の病院にかかっても3か月かかりました。

 

今もこうして旅をしているとお金を貸してもらっているR君や未返済の業者さんに

申し訳ないと思っています。

 

しかし、僕は「経営者になって人を幸せにしたい」と言っていたものの

自分自身は一体何をしてきたんだろうと考えました。

今日まで関わった人を誰一人として幸せにできていないからです。

 

僕は旅、音楽、食事が大好きで、それらを生業にしたい。

そこで人たちがつながりお金が生まれることで人を幸せにすると決めていたんです。

 

でも実際の生活は、自分の家にはテレビもない、煙草もパチンコも女遊びもしない

普通に働いている人を馬鹿にして、自分をストイックに見せかけて

頑張っているふりだけしてる約束も時間も守らない、ただの心の貧しいだらしない男でした。

 

去年の年末、Mさんやらに遊ばれて、商売が完全に頓挫し今年5月に薬を絶つまでの間

死にたいとしか思いませんでした。

少なくともこの業界には自分は必要とされていないと思っていました。

 

本当に貧しい人間でした。

 

だったら、どうせ死ぬんだったら、自分らしく生きて死のうと思い今年の7月旅を始めました。

死んだら保険金で皆さんにもお金が返せますし。だからMの仲間に保険を解約しろと言われても

嘘をついて解約しませんでした。

 

思えば憧れていた寝台列車や緑豊かな山里にも程遠い生活を送っていたことに気が付きました。

日本人として大切な四季や人の温かさ、すべて忘れていました。

 

こんな自分が経営者はおろか、人のことを幸せにできるか??

当たり前ですがNOですよね。

 

自分が最低限ゆたかだから他人に対してやさしい気持ちになれたり、意欲をもって何かを成し遂げようと頑張ったりできる。

 

僕は根本の部分で、人として腐っていました。

 

だから、外見も内面も今年いっぱいと期間を決めて徹底的に磨くことにしました。

きれいな景色を見て、やりたいことをやり抜いて、たくさんの人と会って

 

声はしっかりとして、体重は13キロ落ちました。

 

年末、心配をかけている両親と兄弟に、少し深くなった瞳と綺麗になった体を見せて再起を誓って来ます。

 

Oさんのことは、女性関係のことも含め、男として小っちゃ過ぎてどうでもいいです。

何が腹が立つかというと、僕の仲間を大切にしてくれないからです(T君も含めです)

そして、物事や行動の根源がすべて自分自身の恐れからくる疑いから始まり、

自身で否定しているのに最後はいつもお金で解決するところが尊敬できません。

 

ただ、感謝は幾らでもできます。今までのこと、すべて感謝しようと思っています。

その他いろいろあったことは全部忘れました・笑

 

今のジョージは何にも考えていないし、何も覚えていません。

 

振り返ったら荒れた道を歩いてきたなぁと思うくらいです。

 

こんなつまらないメールを送りつけちゃって、ひいたでしょ?

でもR君には話しておきたいと思って。

 

普通の人じゃなかった僕がようやくゼロに戻れそうです。

 

これから僕がやっていくべきことはシンプルです

 

来年から一生懸命働いて借金を返して、貯金をして、投資や結婚を具体的に考えられるようになりたい

他人から信頼される人間になりたい

 

それだけです。

 

目立ちたいとか、今までのような浮ついたのは卒業です。なぜなら関わる人を幸せにできないし

巻き込んでしまうと人の人生に責任を持てないからです。

語弊があるといけないので一応言っておきますが、稼ぐためには黒くていいと思います。

商売って残酷なものだと思うし、ゼロから1を作るときにきれいごとなんか言ってられないから。

 

でもOさんやMさん、Iさん(Mサービスの社長)と僕が目指すものが絶対的に違うところ

それは、自分と身近にかかわってくれる人から信頼され、愛されること。

自分と関わることで得をしたりゆたかになってもらうこと。立場が弱い人は特に大切にしたい。

 

そこにお金を結びつける。出来なければ徳島に帰ってフリーター

 

死ぬなんて二度と言わない。

だって今日食べたハンバーグステーキが美味しかったから。

今度は社員旅行や新婚旅行でみんなと一緒に食べたいと思うから。

 

もうブレない、媚びない、都合が悪くなったら煙幕巻いて逃げたり投げつけたりする先輩の悪いところをマネしない。

これらを僕の商売感の根底にしようと思っています。

 

折角頂いたお話だったので、僕はほかの方とお仕事の約束はしていません。

 

こんな僕で良ければ具体的な仕事の話させてください。

でも、もし仕事のご縁が無くても一生友達でいてね。

 

同じ時期に同じ会社で苦労した同志だと思ってるので。

 

お互い素敵な人生にしましょう!

いつもありがとう。

 

2014.11月23日 トワイライトエクスプレスの車内にて

 

酒こそ飲んでいたものの、精神はとても穏やかで、何にも負けない気がした。

そうだ、僕の強さはここから来ていたんだ。

旅が好きで、音楽が好きで幸せな食卓が大好きだった。

そうした幸せにかかわるために経営者になったんじゃないかー

 

この後、R君から入電があったが、

 

「何にも気ににすることないっすよ!」 

 

それだけだった。

 

Sun, November 23, 9:52 

寝台特急トワイライトエクスプレス”は 定刻で札幌駅に到着した。

少し雪のちらつく北の大地は、ささくれた心を癒してくれるような

凛とした冷たい空気で僕を包んでくれた。

 小樽、札幌と町を巡り、ひと時の間大好きな北の街をひとり歩いた。

 

19:15

新千歳空港

SKY726便は定刻にフライトした。

津軽海峡を渡ったあたりだろうか

まばゆい明りが星座のように陸地に点在していてとてもきれいだった

その時、自身の手帳にこう綴っていた

 

飛行機の窓から見える景色がこんなにも綺麗で
最果ての街の澄んだ空気が好きで
夜汽車の中で注文したハンバーグステーキが美味しかったな

フライトが終わると愛する彼女がロビーで待っている

これ以上の幸せはない。みんなありがとう。 

-平穏とかがやき-

 

数日後、R君と新宿の喫茶店で会った。

仕事の話がしたいと連絡があったからだ。

 

「ジョージさん、前商売してる時に、私の先輩と良くなかったんでしょう?そんな状態じゃ今来てもらっても困るんですよね。お互い幸せにならなきゃいけないんで、今後どうしましょうか」

 

化けの皮が剥がれた。

 

おまけに

「あんなメール、別にいらないんすよねー。Oさんは僕にとってただのスポンサーだから何をしてようとどうでもいいですし。」

 

前職で同じ釜の飯を食い、昼夜を問わず仕事に明け暮れ、僕は仕事に青春を捧げた。彼は妻と子が家から出て行った。

同じ気持ちで苦労していたと思っていた。

しかし、彼と僕の違いがわかった。

彼は都合が悪くなると愛や人情を捨てられる。

商売人たるもの関わる人を幸せにしなければならない。

リスクを切り捨てたり、人に投げつけてはならない。

リスクが業績に影響を及ぼさないように(影響を最小限に抑えるために)努力をするのが経営者の仕事だと思う。

 

お金には色がついていて、汚い金を財布に入れてはいけない。

そこがぶれると人は腐る。

 

だが、腐った人間関係でも、汚い色の金でもそういった価値観で生きていくのならばそれでいいのである。

 

ただ、僕は違う。

 

この日、決めた。

これから自分がかくあるかということを。

 

卑しくないこと

 

人から喜ばれることだけをやること

 

友情をカネに換えないこと

 

 

この3つを胸に刻んで、それらを逸脱したり、グレーな生き方はしない。

飢え死にしても愛とロマンで生きていくと決めた、あの日の誓いー

再度それらを胸に刻んだ。

 

 もし、列車の中で"手紙"を書かなかったらそのまま仕事をして、以前と同じようなだらしない関係になっていただろう。

 

 

決別、それは新たな旅の始まりだ。

 

 

人は旅をしながら成長してゆくのかな。

 

たとえ茨の道であっても、その道の先に穏やかな日差しが注ぎ、花咲く道があることを願いながらー

 

 

 

 

ボンボヤージュ。

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