黄昏色の列車に乗って。

ー僕が旅を続ける理由ー

Travel "KITA-KIKO"2020

おら、それ違げーだろ!

配送間に合わねーぞ!

 

お前何やってんだよ?よく考えろや!!

 

 

怒号が飛び交う新地にある魚屋の仕込み場

 

 

35歳、見習いのJは淡々と言われた雑用や掃除をこなしていた。

二週間前までは閉鎖された場所で孤独に冷たい弁当を食べていた。

3年前はー

 

 

Jには楽しみにしている事があった。

それは一つの悩みでもあった。

明日発の札幌・新千歳行きの航空券のチケットだった。

 

自信が立ち上げた株式会社Jエンタープライズという夢の舟が沈没してから6

沢山のトラブルを生み、抱えてきた。

 

 

オフィスで働くサラリーマンをやってみたが、誰とも合わず、自主退職した。

 

 

ようやく働き始めたのがこの魚屋だった。

唯一心を開ける相手は姉の華。

四国の田舎町の駅ビルで毎日働いていた。

 

 

「弟を返してください」

 

 

夢の舟、Jエンタープライズが沈没するとき、深い海の底に沈みかけた船から僕を救い出してくれたのも姉だった。

 

そんな姉に

 

「北海道いってくるね!」

なんて言える訳ない。 

 

何故なら、姉は絶対僕のことを否定しないから。

 

 

「そっか!楽しんでくるんだよ!気をつけてね!!」

 

 

と彼女は迷わず言うだろう。

 

何も疑わず、100%の信頼を得る事は、時に自分にとっての恐怖なほどの抑止力になる。

 

 

昼過ぎ、荷捌きが落ち着いた頃、大将にお願いした。

 

 

 

「すいません。体調が悪いので今日は早めに上がらせて下さい。あと、明日明後日は休み頂きます」

 

 

他人に怒られようがクビにされようが何にも気にならない。

怖いなんていう感覚はとうに麻痺していたから。

 

 

 

20201121日、僕は羽田空港第二ターミナルにいた。

 

普段はもっぱらJALを使っていたが、格安航空券がたまたま手に入ったのでANAに乗ることにした。

 

 

ざっと用意したパッキングが入ったグローブトロッターのネイビー色をしたトランク。

 

AirPodには小沢健二さんの

 

「僕らが旅に出る理由」

 

が流れていた。

 

 

NH61便の機材はB777-200だった。

オリンピックを意識したのか、2020と大きくラッピングされた大きな機材だった。

 

コロナ禍の中、8割ほどの乗客を乗せたNH61便は10分ほど遅れて羽田の滑走路を

飛び立ち、左に大きく旋回した。

 

 

東京湾の臨海地区から江戸川が見えた。

 

 

離陸するまでは想いは複雑だったが、新千歳までの約800km1時間半の空の旅をひとときを少年のように窓を眺め、立場や時を忘れて楽しんでいる自分がいた。

 

 

12:45

NH61便は定刻より15分遅れで新千歳空港に到着した。

 

人がほとんどいない出発ロビーと、フェンス一枚隔てたボーディングブリッジから大量に吐き出される東京からの笑顔の乗客のギャップが印象的だった

 

 

誰もいない3Fのレストランで軽く食事を取って、いつもの快速エアポートUシートに乗り込んだ。

 

大好きな北の大地を駆け抜ける鉄道の香りがした。

 

 

14:15

いつもお世話になっていた定宿はcovid19のせいで休業していたので、JRタワーを予約していた。

 

相変わらず子供らしいリクエス

 

「石狩湾が見える、出来るだけ高層階を」

 

お願いしてあったら、久しぶりなのでーと少し広めの部屋を用意してくれていた。

 

 

Jさん、今日はね、多分水平線に雲がありますから、石狩湾の夕日が望めないと思います。ですから、勝手ながらススキノ側をお取りしておきました」

 

 

とー

 

 

心躍るリップサーヴィスを受け、ワクワクしながらドアマンにカバンを預け、エレベータは31階へと駆け上がった。

 

 

カードキーを差し込み、電動カーテンがゆっくり開き出した時、踊り出したくなるほどの景色が広がった。

 

 

 

世界一好きな街ー

 

 

 

 

 

「ただいま戻りました。お互い大変だったね」

 

 

 

 

---

札幌!いいですね!どこに行ったんですか?

と訊かれるといつも困る。

どこにも行かないからである。

 

 

行くとしたらいつものジンギスカン屋さんとお寿司屋さんとテレビ塔

 

でもお寿司屋さんに行くために札幌に行くなんて言おうもんなら

 

「まだ経営者のつもりなのか」

 

「セレブみたいだね」

 

なんて揶揄されるから言わないし言いたくない。

 

でも事実なのである。

 

この日もバスタブに浸かり、シーツを汚さないようにと、少し気を使いながらゴロゴロとベットでくつろいだり、ソファに座って、茜色から夜の帳が下りる北の街を眺めるのが最高に幸せだった。

 

 

18:25

バッチリの防寒対策をしつつ、お気に入りのチェックのロングコートを羽織り、フロントに降りた。

フェィスシールドをを纏ったベルボーイに円山公園まで行きたいと伝えると

 

 

J様、タクシーが到着しておりますので」

 

と言われた。

 

勿論今はそんな身分じゃない。

 

格好をつけて散歩がてら地下鉄で行きたいと伝えると、観光マップを広げ、ベルボーイは丁寧に乗り換え案内をしてくれた。  

 

見送りのドアマンに扉を開けられると、フワッと冷たい風が頬にあたり、昼飯の時に飲んだビールとワインの残り香を吹き飛ばした。

 

これから向かう場所

 

 

それは三つ星レストランー

 

 

地下鉄大通り駅で列車を乗り継ぎ、円山公園駅に降り立った。

 

札幌の郊外にある、ポツポツとオフィスが並ぶとても道路が広い街だった。

 

 

店の前に着くと、常連客が既に外で待っていた。

 

 

19:20

17時スタートの先客が盛り上がっているのか、1930スタートの案内はギリギリだった。

 

予想以上にこじんまりとした店構えが印象的だった。

 

アルコール消毒と検温を済ませ、中央のカウンターに案内された。

 

客は道内の有名な医者のグループ2組と都内で働く出版社の常連、そして僕の7名、奇数だが実質満席だ。

 

程なくして店主が顔を出し、全員に挨拶をして下さった。

 

拍子抜けするほど気取らないその仕草、アシスタントの板前さんは若い女性。

 

「お飲み物はいかがいたしますか?」と丁寧にメニューを広げられたが、クールに

 

「ペアリングをお願いします。苦手な飲み物はありません」

 

とメニューを下げるようにお願いしたら、戸惑うように、

 

 

「では、日本酒を半合でお待ちしますね」

 

と言われた。

 

三つ星ペアリング、今回の目的はこれだった。

しかし何だ?ワインリストもないー

 

程なくして、一品目が提供された。

 

 

「スッポンの出汁の茶碗蒸し炙り白子のせ」

 

二品目

 

「スジアラの昆布出汁」

 

数品のつまみの後握りが出るが、日本酒が追いつかない。タイミングが合わない。

 

正直、あーあ。。

と思った。

 

これじゃないんだ。

これじゃない。

 

これじゃ田舎の寿司屋と変わらない。

ミシュランの勉強に来たのにー

 

他にも道内に知っている店はあるから、延泊してもう一軒行くか。

 

トイレにでも立って電話で他の寿司屋に席を開けてもらおうと思った。

 

 

隣に座っていた常連客が話しかけてきた。

 

 

「先ほどからお写真を熱心に撮られていますが、そう言ったお仕事をされているのですか?」

 

僕は苦笑いをして答えた

 

 

「いえ。ただの趣味です。仕事はしがない魚屋ですよ」

 

 

暫しの間常連客と談笑した。

 

21:05

常連客が言った

 

 

「おぉ、今日ももうそろそろ終わりなんだぁ」

 

 

僕は

 

 

「え?今何時ですか??」

 

と尋ねた。

 

時刻は21時を回っていた。

一通り終わったらさっさと会計を済ませてどこかで飲み直そうと思っていたのに、店主の

 

 

「お腹の具合はいかがですか?」

 

 

の質問に自然と反応してしまい

 

 

「お任せでもう一貫頂けませんか」

 

 

と答えてしまった。

 

大将がチョイスした最後の握りは

 

 

「ホッキ貝の含ませ」

 

 

だった。

 

 

丁寧な隠し包丁を施されたネタと赤酢のシャリが口の中でほどけ、出汁は昆布が多めの鰹だろうか、優しく鼻に抜けるその香りー

 

 

 

音楽に例えるならば、クラシック、ジャズ、ブルースやゴスペルの名盤とでも表現すればいいのだろうか。

 

決して派手ではないが、触れようとした人全てに愛されるモノ、奥深さ、普遍的ー

卵焼きと緑茶、温かいおしぼり、ささやかなカーテンコールー

 

カウンター越しに立つ店主に唐突にお願いをした。

 

 

「あの、すいません。一緒に写真を撮っていただけませんか?」

 

 

勿論、ツーショットが欲しかったわけではない。

 

店主は一瞬戸惑っていたが、カウンターから出てきて僕の隣に立ってくれた。

感じのいい見習いがシャッターを押してくれた。

 

そして、僕は店主に尋ねた。

 

 

 

 

「あの、教えてください。どうやったら貴方のようになれますか?」

 

 

 

店主は笑いながら交わした

 

 

「いやいや、私のようにはならない方が良いですよ」

 

 

僕は続けた。

 

 

「そうじゃなくて。おしえてください。どうやったら店主のように皆さんに愛されるお店作れますか?」

 

 

戸惑ったような表情から、静かに店主は口を開いた。

 

 

「頑張っているんです。皆んなで頑張っているんです。」

 

 

笑顔だったが、その瞳の深さが忘れられなかった。

 

26千円の会計を済ませ、店主と店の方にお礼を言い、店を出た。

 

数分だろうか。何にも考えられず、店の看板の影でぼーっとしていた。

 

 

何かを感じて寿司屋の入口を振り返ったら、椅子を引いてくれた見習いが僕をずっと見送ってくれていたー

 

 

 

アシスタントの板前の女性は箸に乗らないほどの小さな芽ネギの破片が落ちたことを見逃さない。

 

 

徹底された声かけ

 

提供の時、必ず自然な笑顔で目を見て話しかける姿

常連に対しても、一見さんに対しても接客の時間は同じ

 

客が見えなくなるまで見送る

 

そんなの当たり前だよ、と言うかも知れない。でもその当たり前を誰がどれだけ貫けているのか。

 

僕の目的はミシュラン3つ星の店で答えを探すことだった。

 

でも、その店で働く方々と店主の一言で全てが一蹴された

 

 

 

 

「頑張ってるんです。皆んなで頑張ってるんです。」

 

 

 

 

なんとも言えないはち切れそうな胸の高まりと火照った身体を冷たい風で覚ますように、僕は西へ向けて歩き始めた。

 

30分だろうか、1時間くらい歩いただろうか、テレビ塔が遠くに見えはじめた。

 

 

テレビ塔を初めて見たのは高校生の時だった。親に黙ってこっそりと旅を始めたこの旅のルーツ

 

 

「北紀行」

 

 

の時に初めて出会った。その等身大の美しさに感動した。

 

その後日本一周をしたり、上京してスカイツリーを見たり、パリのエッフェル塔に行ったりと沢山のタワーを見てきたが、僕にとって札幌テレビ塔は世界一好きなタワーだ。

 

初めてテレビ塔と出会った頃は全てが新鮮だった。見るもの全てが特別に感じた。乗り物も、食事も、音楽も、恋愛も。

 

 

でも、歳や経験を重ねるごとに感動することはとても少なくなった。

 

達成できないことへの怒りやうまく行かないことへの落胆、失敗する事や期待に応えなければならない事への恐怖の連続だった。

 

ホテルへ戻った時は日付が変わっていた。

ススキノで〆て帰ろうかと何軒か覗いたが、今の気持ちを濁したくなくて、そのまま3丁目の交差点を北に向かい、コンビニでサッポロ・クラシックとコマイの干物を買ってホテルに帰った。

 

電動カーテンを開けたら、ビルの消灯時間を過ぎたのか、少し穏やかな輝きを放つ北の摩天楼が眼下に広がった。

 

 

テレビと部屋の明かりを消した。

 

 

バスローブを着たまま、ソファに座り込み、穏やかに摩天楼を眺めた。気がついたら時刻は230を回っていたー

 

 

翌日、サービスしてもらったモーニング・ブッフェとルームサービスのコーヒーを楽しんだ後、馴染みのジンギスカン屋を訪ねた。

 

13:35

2フロアで営業するいつも客で一杯だった店。

 

7年前からずっと通っているのに、店員のママはいつまで経ってもっても僕のことを覚えてくれない人だった。この日は1Fに案内された。

 

知ってるのに荷物の置き方だの、肉の部位だのを愛想なく説明してくれるママ。手早くモモ肉一枚とサッポロ・クラシック、小ライスを注文した。

 

 

無言でジンギスガンを頬張り、ビールをおかわりして野菜を乗っけてもらう。ある意味阿吽なのかも知れない。

 

 

一通り食事を終え、片付けしやすいようにと食器を重ねて、おしぼりでテーブルを拭いているとママが

 

「すみませんねぇ、これ使ってねぇ」

 

と新しいおしぼりを差し出してきた。すかさず絡んでみた。

 

「ママ元気にしてた?2Fやめちゃったの?」

 

ママは答えた

 

「ありがとうねぇ。コロナのアレでねぇ。今は下だけなんだよ」

 

「僕ずっと東京から来ているんだよー!覚えてないでしでしょ笑。頑張ってね!また応援しに来るから。」

 

 

そう告げるとママは

 

「ありがとうね。風邪引かないで」

 

と言ってくれた。

 

TVではその日も札幌は未曾有の事態だと報道されていた。

風邪なんかひかないでなんて、こっちの台詞だ。

 

 

「ママ、ありがと。また元気で会おうね。応援してるから」

 

 

そう告げ手を振ってお別れすると、ママは嬉しそうに「ありがとねぇ、ありがとう」と何度も頭を下げた。

 

14:55

人気のないススキノを後にして、新千歳空港に向かうため札幌駅から函館行きの

 

「特急北斗18号」

 

に乗り込んだ。本来、新千歳空港に行くのは「快速エアポート」に乗るのだが、この日は何故か乗り換えがしたくて、「北斗」で南千歳まで行き、後続のエアポートを待つことにした。

 

北風が吹き抜ける人一人いないがらんとした南千歳駅1番ホーム。そこには昔ながらの駅弁屋さんが佇んでいた。南千歳で下車した客は僕だけだったが駅弁の店内からは一人の店員の威勢のいい声が響いた

 

 

「北海道の駅弁だよー!おまけしとくよー!」

 

 

思わず吸い寄せられるがのごとく店の前に立ち、

 

「おすすめを一個いただけますか?」

 

と告げていた。

その弁当はホッキ貝の弁当だった。

 

そういえば、円山公園の寿司屋で最後にお願いした店主のおすすめの握りもホッキ貝だったー

 

程なくなくして、2番ホームには回送列車と言わんばかりのひと気の無い「快速エアポート150号」が入線してきた。ここから新千歳空港駅までの所要時間は3分。

 

 

列車乗り込む時、凛とした北国の空気をスーッと吸い込んだ。

 

快速エアポート150号は程なくして新千歳空港駅に到着した。

先を急ぐ乗客に出口を譲り、一番最後に列車を降りて、いつもエスカレーターは「追い越し車線」しか使わないのに、グローブトロッターを抱えてゆっくり、ゆっくりと空港へつながる地上改札へと向かった。

 

ターミナル2階の出発ロビーへと向かうフロアには所狭しと土産物屋が並び、閑散としている中悲しいほどの元気な売り子の呼び込みの声が響いていた。

 

17:05

チェックインを済ませて係員に促されたセキュリティゲートへ向かう時、足が止まった。

 

ひととき、ゲートに背を向けて札幌の方向を向き目を瞑り心の中で声を出した

 

 

 

「ありがとう。また戻ります。」

 

 

 

このまま、この街にいたいー

 

後ろ髪を惹かれる思いでNH74便のボーディング・ブリッジを渡った。

 

17:30

NH74便は定刻に新千歳空港を飛び立った。

水平飛行に入った時、大好きなコンソメスープを頂きながらオーディオを触った。

 

 

小松成美さん原作の2000年を代表する女性シンガーのサクセスストーリーのドラマが目に留まり、観ることにした。

 

 

彼女はダイヤモンドの原石だった。そして、業界の重鎮に選ばれた。社長と恋に落ちた。

 

 

でも、執拗な嫉妬やいじめ、沢山の逆境に耐え、時代を牽引する存在になると言うストーリーだった。

 

そのドラマを見て思った。

自分はダイヤモンドの原石だと思い込んでいた。思い込まないと始まらない。狼に育てられた子供のように、思い込めだそうなれると思っていた。ただ、最近気づいたことがあった。自分がスターダストだと言うこと。

 

よく星の数ほどと言うが、その星の数の何倍だろう。数万倍なのかな、星屑の数って。お前なんかに何ができるって言われ続けてきたし、その答えなんか見つからない。でも、やりたい事があるならば、やらなければならない事があるならば、何度も手を加えて、それを紡いで行けばいい。

 

 

 

「頑張っているんです。皆んなで頑張っているんです。」

 

 

 

何のために、どうやって頑張るのか?

そこまでの答えは見つからなかった。

 

 

 

セオリーは自分で見つけ出す。

その為に旅を続けたいと強く思った。

 

北の大地には相変わらず最高の出逢いと気付きが待っていた。

 

 

NH75便は定刻通りに羽田空港に着陸し、間もなく師走を迎えるはずの東京の風は温暖化の影響なのか、かつて初秋の夜、深夜便でマレーシアに旅立った日の様な生暖かい風が緩く吹き抜けた。

 

 

また日常が始まった。

 

新しい日常だ。

 

 

迷っても、不安でも、気持ちがはち切れそうになれば、また大好きな北の大地を訪ればいい。

北の大地に誘われる様に、自分自身の羅針盤を信じること

 

 

信念と初心を忘れないことー

 

 

支えてくださった人たちのことをずっと忘れない

 

 

「頑張ってってるんです、皆んなで頑張ってるんです」

 

胸いっぱいの珠玉のコトバ。

大好きな街。

かけがえのない想い

 

 

ずっと旅を続けます。

 

2020.11.21

journey.j

 

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*******travelrecord****************************************
Places visited : 

 

AIR :All Nipponn Airways.co

TYO(HND)-CTS

NH61 Class Premium

New Chitose Air Port STN-Sapporo STN 快速エアポートrapid "AIRPORT" U-seat(reserved seat)


LUNCH 

www.tripadvisor.com

STAY

www.tripadvisor.com

 

 

DINNER

www.tripadvisor.com



BREAK FAST

www.tripadvisor.com

LUNCH

 

www.tripadvisor.com

 

AIR :All Nipponn Airways.co

CTS-TYO(HND)

NH74 Class Y

Sapporo STN-New Chitose Air Port STN 快速エアポートrapid "AIRPORT" U-seat(reserved seat)

 

****************************************Buon Viaggio!*****

饂飩が食いたけりゃ何処までも

23.oct.2017

 

腹が減った

 

あー!腹が減った!!

 

 

ってな事で12年来お世話になっている飯屋さんに出掛ける事にした。

 

10:00PM 

東京駅

寝台特急サンライズ瀬戸号」に乗り込んだ。

 

横浜を出たあたりで飯屋さんに確認の電話を入れる

 

「あぁ、お久しぶりです。はい、気をつけていきますー」

 

無事獲物は確保してくれているそうだ。

 

24 8:00AM

早朝の岡山駅で「サンライズ瀬戸号」を見送り高知経由中村行きの特別急行「南風3号」に乗り換えた。

 

瀬戸大橋を渡り、大歩危峡を超え西へ西へと列車は走り、「南風3号」は定刻13:24分中村駅に到着した。

 

1:30PM

ホテル「ザコネ」に荷物を預け、 飯屋の開店時間まで少し時間がある。

カヌーをやるほどアクティブじゃないし僕は腹が減っている。

かつては栄えていただろう旧中村、現在は四万十市のさびれた商店街を歩き、四万十川のほとりまできた

 

皆不思議という。

 

「飯を食いに中村(四万十)まで??」

 

 

5:00PM

居酒屋「味劇場ちか」が開店した。

 

大将、相変わらずの笑顔で迎えれくれた。

 

いつも注文するものは同じ。

 

カツオ刺しとアオサの天麩羅、瓶ビール。

 

皆不思議がる

「カツオくらいだったら東京にも藁焼き屋とかあるし、高知だったらひろめ市場とか、、」

 

もうお察しであろう。僕はちかさんの飯が食いたいのである。

 

日本は冷凍技術や物流網が世界でも最先端に進化している。

 

西麻布あたりの高級な店にでも行けばその日に空輸された生のカツオを食べることも出来るだろう。

 

中村までの旅費交通費を考えれば十番でメシを食う方が安いかもしれない。

 

でもね、満たされることと美味しいこと、贅沢することは根本的に違う。

 

 

昔、トークセッションをしている時にセラピストの方がこんな話をしてくれた。

 

俺の父はとても厳しくてね。巨人の星みたいな性格してたんですよ。

いつもぶん殴られてまして。

 

ある日お寿司屋さんに行ったんです。

 

俺あのカンウターが嬉しくてね

 

って言うか同級生が行ってる回転寿司よりもいい店だったもんで。

 

そこで鯛やヒラメ、大トロを注文したんです。

 

そしたら親父にボコボコにされちゃって。

 

親父は

お前、高いもの選んで食べようとしてるだろ?

 

他人よりいいものを食ったというレッテルを自分の中で作って

優越感感じたいだけだろう?

 

そんな飯の食い方して幸せにはなれない。

 

本当に食いたいものを食え

 

それが幸せってもんだ

 

当時の俺は、寿司屋でぶん殴らなくても、、って思ってましたけど、今となっては親父は真っ当だったなって。

 

だから俺は決めてるんです。

 

うどんが食いたくなったらどんなに遠くても食べたい店のうどんを食べに行くような人生を送ろうって笑

 

 

 好きなものを腹いっぱい食べる

 

腹がいっぱいになったら幸せになる。

 

豊かな人や美しき風景と同調できれば幸せになる。

 

どんどん自分がクリエイティブになっていく。

 

 

中村の夜

 

本州への終電は夕方

 

もうこの街から出ていく人もいなければ

 

ドカドカとヒトが押し寄せることもない

 

 

腹一杯になって、大将の見送りで店を出た。

 

 

この瞬間

 

 

あぁ、僕はなんて幸せで贅沢な生活をしてるんだろうって

 

例えば、今回の旅に費やしたお金

 

30代代後半のサラリーマン男性であれば新宿あたりで一晩遊べるかな

 

女性だとブランドのトートバッグくらいは買えるかな

 

 

僕は「ちか」さんで好きな飯を腹一杯食うという選択。

 

価値観は人それぞれ

 

でもこんな幸せのカタチを選ぶことのできる自分は幸せだと思うー

 

「ちか」さんからの帰り道、携帯をいじっていると忘れていた事を思い出した

 

 

そうだ!今年は最果ての島でハロウィンパーティしたかったんだ!

 

翌朝そのまま空港へ

 

「チケットはまだありますか?」

 

 

こうして僕の旅は続くのであるー

 

 

 

ボンボヤージュ。

 

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*******travelrecord****************************************

 

Places visited : Tokyo Station-Nakamura Station,
Okayama City,Kochi City-Shimanto City,

 

Tokyo STN-Okayama STN

Sleeper Limited EXP "SUNLISE SETO" room:private cabin(A Sleeper) "シングルデラックス"
Tokyo STN -Okayama STN berth charge 13,730

JPN

express fare 3,240JPN

 

Okayama STN-Nakamura STN
Sleeper Limited EXP "Nampu" first class car "グリーン車"
express fare 7,720JPN

 


basic fare(Tokyo STN,via Utazu STN,Nakamura STN )12,570JPN


DINNER 

味劇場ちか

www.tripadvisor.com

****************************************Buon Viaggio!*****

 

 

 

 

幸せのきっぷ。

2017  journey in late summer

 

抜けるような青空の下、僕は金比羅さんのふもとにいた

 

旅の途上、素敵な列車があると聞き、知人にチケットを手配してもらったからだ。

 

「そらの郷紀行」と題された気動車JR四国国鉄末期から導入した、キハ185系というそこそこ年季の入った車両だったが、近年のクルーズトレインブームにインスパイアされ、内外装共に手の込んだ改造が施された車両だ。

「四国まんなか千年ものがたり」と題されたキハ185気動車は、琴平駅の一番ホームに丁寧なブレーキ操作で静かに入線してきた。

 

ラウンジで列車の到着を待っていた乗客は、列車の到着を告げるクルーに誘われ、アテンダントさんの挨拶と共に車内に乗り込んだ。

 

地元の木材や伝統工芸品をあしらった豪華な車内は、一昔前のバブルの香りのする「ジョイフルトレイン」とは一線を画していた。

 

周りは淑女の団体や家族連れ、カップルに鉄道マニアさん。

あぁ、いつもの場違いだな。。と半ば自分の運命を受け入れながら指定券に記された座席に座った。

 

この列車、巨体の女装家が某ゴールデンタイムの番組で取り上げたこともあり昨今はチケットが取りづらいらしい。

 

僕は幸い知人の厚意で確保した、進行方向に向かったゆったりとした窓の大きな2名掛けの席

 

ありがたいなぁ、、と思いつつ、これから車窓を流れゆく風光明媚な吉野川大歩危峡を想像していると列車はゆっくりと動き出した。

 

車内サービスのメニューブックを見ながら何を食べようかな、向かいの席にはだれか来るのかなー

 

出発前、チケットを手配してくれた友人が

 

「向かいの席、素敵な女性でも座ればいいですねー」

 

なんて冗談を言われたことを、低脳な僕は淡い期待を抱きつつ、車窓を眺めていた。

 

そしたら、起こったーーー

 

僕の前の席をめがけて歩いてくる女性、20代中盤くらい、すらっとした出で立ちの美しい女性。少し困ったような表情をしていて、その表情すらもとても素敵だった。

 

ただじろじろ見るのも変態のようなので目をそらしていると彼女は僕に

 

 

 

話しかけてきた。。。

 

 

 

 

来た。

 

 

これって!!!!!

 

 

「あの、すいません。こちらのお席の方ですか?」

 

ん?

 

 

はやる気持ちを抑え、静かな声で僕は

 

 

 

 

「ええ。こんにちは」

 

 

 

 

と答えた。

 

 

 

 

彼女は少し申し訳なさそうな顔で続けた

 

 

 

 

 

「こんにちは。あの、私たち2人で旅行に来ているのですが、席がバラバラになちゃいまして。。無理は承知なのですがお席を譲っていただけないかと思いまして、、」

 

 

 

 

はぁ。

 

 

世の中甘くないのね。でも1名掛けでも展望席とか、良い席なら代わってあげてもいいや、と思い彼女に返した

 

「そうですか、デートなんですね。ちなみにその離れたお席は何処ですか?」

 

彼女は言いづらそうに

 

「あそこです」

 

と指さした。

 

その席に目をやるとおしゃれをした彼氏らしき紳士が肩身狭そうに座っていた

 

そう。その席はオタク席。

 

彼は両端を鉄道マニアに挟まれて、彼女とも当然会話すらままならない。

 

彼女は

 

「やっぱ無理ですよね。すいません旅の邪魔してしまいまして」

 

と言い残して彼のそばに行ったり車内を落ちつかない様子でうろうろしていた。

 

僕は悩んだ。

 

今座っている席は知人が苦労して取ってくれた特等席

 

交換したら鉄ちゃんに囲まれてのむさ苦しい旅になるだろう

 

だけどなー

 

うーん。。

 

でも経営や旅をしていて気づいたこと

 

思ったことはすぐにやっちゃえばいい。

 

直感を信じること

 

自分がここまで経営や旅を続けられていることはたくさんの人たちに助けられ、支えられ許されてきたことー

 

だったら答えは決まっているじゃないか!

 

 

 

車内を相変わらずうろうろとしている彼女が僕の席の横を通ろうとしたとき、僕は彼女に話しかけたー

 

「あの、すいません」

 

「あ!はい。」

 

「あの、よかったら僕のこの切符と貴方の彼が持っている切符交換してくれませんか?」

 

 

 

彼女は驚いた様子で

 

 

「え??どういうことですか」

 

 

僕は

 

 

 

「僕、恋愛成就のお守り探してたとこなんです。彼女と別れちゃったもんでね。ハハハ!なんで、僕の席と切符差し上げますから彼のきっぷください!お守りにさせてもらいます。いいでしょ!?」

 

 

 

彼女は戸惑い、ひと時の間言葉を発しなかった

 

 

 

「…本当にいいんですか??苦労されて取られた切符じゃないんですか」

 

 

 

「いいじゃないですか!羨ましいです。こんな素敵な列車でデートできるなんて。早く二人で向かい合わせで座って楽しんで!そのかわり切符くださいね!ぼくもいつか彼女とこの列車で旅したいんで!」

 

 

 

涙ぐんだ彼女はありがとうございますと何度も僕に礼を言い、喜んで彼を迎えに行ったー

 

そして切符を交換した後、僕はマニアさんの仲間入をしたのでした笑

 

列車は讃岐平野を走り抜き、山岳区間に差しかかろうとしていて、車内は食事を楽しむ時間が近づいていた

 

食事やドリンクの注文を取り始めたアテンダントさんが僕に話しかけてきたー

 

「あちら(さっきのカップル)のお客様がお席を譲ってくださったお礼にお客様に何かご馳走したいと申されています。軽食でも結構ですし、お礼がしたいと強いご要望を頂戴しておりますので、フルコースのお料理も特別にご用意させていただけます。お好きなものをおっしゃっていただけませんか」と。

 

僕は

「その気持ちがうれしいです。その気遣いだけでおなかいっぱいだから。お二人にありがとう、ご馳走様と伝えてください」

そうアテンダントさんにお願いした。

 

 

ん?

 

 

このセリフ、どっかで聞いたことあるぞ???

 

そうなんです。

 

あの日出会った人のセリフを丸パクリ笑。

 

 

日本一周旅行の途上、鳥取県境港のほど近くの海に魅せられ、砂浜にちょいと車をとめて休んで行くか、と海岸線から砂浜に車をゆっくりと侵入させたんです。

 

この時点でただの馬鹿。

 

ただ、僕のイメージは北陸の海岸を走る路線バスがあるくらいだからこの車でも慎重に進入すればOKだろうと安易な考だったのだが、案の定車のタイヤはフカフカの砂浜に一瞬で埋もれて亀になってしまった。

 

途方に暮れていた僕に近寄ってきたのは真っ黒に日焼けした恰幅の良い老人。

 

またいつもの「日本一周しとるんですか?」の質問かよ、、と質問を想定しながら怪訝そうな顔をして運転席の窓を開けて挨拶した。

 

開口一番、老紳士は

 

「ロープはあるのか?」

 

と僕に聞いた。

 

意味がわからず

 

「ロープって何ですか」

 

と答えてしまった。

 

老人はすかさず

 

「牽引のやつだよ。持ってるだろ。出せ。」

 

ぶっきらぼうに行って海の家の様な小屋に帰って行った。

 

いやいや、車で引っ張ろうったって、、

気持ちは嬉しいけど

そっちも埋まっちゃうから無理じゃん。。

と半ば老人の事を馬鹿にしつつ、好意を辞退しようと思いながらも牽引ロープを取り出した。

 

10分ほど経った時、目を疑った。

なんと、海の家の向こうからブルドーザーが轟音を上げながらゆっくりとこっちに向かってきている。

 

運転しているのはさっきの老人。

 

ロープを手渡したら、慣れた手つきで僕の軽トラとブルドーザーを繋いだら、ガクンと衝撃が走った一瞬の間に、ブルドーザーはヒョイと僕の軽トラをアスファルトの路上に引きずり戻した。

 

そしてロープを外した老人はそのままブルドーザーをUターンさせて帰ってしまった。

 

僕は砂浜に足を取られつつ咄嗟にブルドーザーを追いかけて

 

「本当にありがとうございます!!お名前と御連絡先を教えてください!!」

 

と言った。

老人は

 

「そこに書いとる。」

 

と、手書きの古びた看板を指差した。

 

そう、この老人は地元の地引網漁をしている会社のオーナーだったのだ。

 

僕はすぐに車を走らせ、それらしい菓子屋に向かい詰め合わせを作ってもらい再び老人の元を訪ねた。

 

「先程は本当にありがとうございました。何もお礼できませんがもしよろしければお茶請けにでも、、」

 

と菓子折りを差し出すと

 

「お礼に来てくれたんか?礼儀正しい青年じゃのう。わしは何もいらんよ、買って来てくれたの君が食べなさい。わしは気持ちだけで充分。ありがとう。ご馳走さん。気をつけてな!」

 

嬉しくて、暖かくて泣いた。

 

世の中捨てたもんじゃない。

 

人を見た目や自分の観念なんかで判断してはいけない。

 

 

そしてこの御恩はいつか誰かに何倍にして返してやる。

 

そう心に誓って旅を続けた。

 

だから、この切符はその老人からのギフトであり、僕からの恩返しだ。

 

 

幸せの連鎖

 

 

与えたわけじゃなくて、不思議な境遇によって与えられた幸せ

 

出逢いはタカラモノ。別れ際にはありがとうー

 

 

 

素敵なカップルさん、仲良くしてるかな。

 

 

 

 journey.jたまにはかっこつけてもいいでしょ!

 

 

 

 

 

僕が旅に出る理由ー

 

 

 

 

ボンボヤージュ。

 

 

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日本一周コレクションについて。

お久しぶりです。

 

今、僕の公式SNSで、かつて旅まわりをした日本の風景を発信しています。

 

遊びで作ったアカウントなのであまり気合は入れてなかったのですが、予想以上の反響をいただいています。

 

かけがえのない記憶とはー

 

 

 

ー丘や花太陽、朝焼けと夕映え、どこまでも続く海岸線と鉄路ー

 

でも、僕の中でそれらよりも魂に深く刻まれているのは

 

突然のスコールや車のトラブル、寝苦しい夜やとてもとても楽しみにしていたミュージアムがなくなっていた事ー

 

旅の途上、尊敬する経営者に会いに行って門前払いされたあの日

 

絶対無事故無違反と誓った旅の終焉3日前に貰ってしまった事故のことー

 

 

 

これを持って行きなさいと網代笠を差し伸べてくださった僧侶

 

何にもないけどね、とプレハブ小屋で冷たい麦茶を入れてくださった駐車場の管理人さん

 

砂浜に埋まりかけた僕の車をブルトーザーで引っ張って下さった郵便局員さん

 

立派な経営者になるんだよ、と酌をして下さったすすきのの老紳士ー上場企業の社長さんと後で知った

 

 

 

 沢山の支えを貰って、そんな困難を乗り切るぞ!と顔を上げた時に見た空の広さ

 

その空を忘れないこと

 

それが僕の旅の一番の収穫でした。

 

そして、日本一周というフレーズに食いついてくるひとの一番多い質問

 

「日本で一番どこが好きですか??」

 

僕はいつも迷いなくこう答えます

 

「自分の家です」

 

皆はぁ?と言う。

 

 

だって当たり前じゃあないですか。

 

何かが欲しくて旅に出る

 

かがやき

 

沢山の刺激や感動を手に入れられる

 

 

それらを欲するのは退屈な日常じゃないか。

 

 

平穏

 

 

ポンコツの軽トラ

1万4000キロの旅を終えて

いつもの車庫に車を入れて家の扉を開けると

 

味噌汁と魚を焼いた香りが台所から漂い

 

「あら、おかえり。疲れたやろ」

 

当たり前の声が聞こえるー

 

 

自分が一番嫌いだったもの

一番逃げたかった場所

 

 

でも、自分がゼロに戻れる場所ー

 

 

ー平穏とかがやきー

 

 

 

僕が旅に出る理由。

 

 

当たり前が最高に幸せだと教えてくれる大きな大きな存在。

 

 

 

 

ボンボヤージュ。

北紀行Ⅰ ーBegining of my Solitary Journeyー

13年前、少年だったGeorge

(Georgeは後に音楽活動を行うステージネームとして拝命した名前で、当時はまだ存在しなかった)
は、自分の通う高校の卒業式の日、北の街へと旅に出る。
 
県内有数の進学校である県立K高校に3年通った末中退しようと決意し、少年Georgeは、北の街で一人卒業式をしようと、バイトをしていた旅行会社の先輩にチケットを手配してもらい、旅に出た。
「34歳、天野」と言う名前がチケットには刻まれていた。
 
2003年3月1日は、羽田空港の管制塔が未曾有の混乱状態で少年Georgeが搭乗する飛行機は7時間遅れ、その後のフライトはほぼ全て欠航という混乱状態の中、進学のこと、家庭のこと、大好きだった人のこと、
 
正しいものって何だろう。
 
自由とは、夢とは何処にあるんだろうー
 
 
 
そんな思春期の想いをいっぱいに詰め込んで、飛行機は北の大地へと飛び立った。
 
当時はまだblogやSNSがなきに等しい時代
 
自身が立ち上げ、活動していた"アトリエMother Earth"のホームページにこの旅の手記を綴った。
 
勿論今そのサイトはなく、写真以外は何も残っていない。
 
でも、12年の時が過ぎても変わらないもの
 
それは、自分の愛するものや人への気持ちー
 
過去に帰るわけではなく、普遍なる想いを込めて
 
過去と現在、そして少しの未来をエッセンスとして、ひととき回想したいと思う。
 
 
 
ー想いは変わらず、夢はカタチを変えながらー
 
 
 
 
 
2003.3.1
 
卒業の日
 
なんとなく、北へ来たー
 
 
駅へ降り立ち、公園を歩いた
到着した頃は夜も更けていて
街のネオンやテレビ塔の明かりが綺麗だった。
 
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白いホテルへチェックインしたー
 
元々独りが好きだが、窓から見える夜景を眺め、仲良く並んだベットを見ていると
 
切なさがこみ上げたー
 
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狸小路、すすきのと夜の街を歩き、好きな酒をたらふく飲んだつもりだが
 
今夜はうまく酔えない自分がいた。
 
白いホテルへと戻り
 
 
大好きだった人へ手紙を書いた
 
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翌朝
 
朝食をとりながら、今日は何処を旅しようと、白い蒸気の上がるビルを見ながら静かな時をひととき過ごしたー
 
列車に乗り、君に見せたかった街へとやってきた
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雪深く、誰もいない北の田舎町は
僕の心を憂うように
美しい木々が彼方まで続く雪の大地とともに、ただ美しかったー
 
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空港へと向かう列車に乗る前
 
 
駅前のポストに手紙を入れた
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愛しさって何だろうー  
 
そう感じる切ないココロ
やるせない想いー様々な葛藤や劣等、それに勝る愛という不思議で残酷な感情ー
 
 
全ての想いを
 
 
北の大地へ置いて行こう
 
 
またいつか出会える日が来るまで
 
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Alone At The Sweet Room-いつの日も夢を乗せて-

Sat,February 20, 
 
 
慌ただしく働いて、気がついたら週末
 
流行りの感染症で体調を崩してしまった僕はベッドに横たわり天井を見上げていた
 
時間は有限だから寝てる暇なんかない
 
だけど、脱力感と倦怠感で何もする気が起きない。
 
半分冷やかしで友人に電話した。
 
 
 
「あれある?」
 
 
「スイートですか?多分ありますよ」
 
 
 
 
「あります。いりますか?すぐ売れちゃうけどどうします?」
 
 
 
例えるならば、焼き芋屋さんのノリ。
 
恐ろしく有言実行な男。
 
NOと言う言葉を忘れ、冷やかしに少し後悔していた
 
 
プラズマには、たまたま「グリース」という映画のDVDを流していた。
 
そのワンシーンに使われていた曲のタイトルが思い出せなかった。
 
なんだっけ、なんだっけ
 
そうだ!
 
 
 
Alone At The Drive-In Movie(ドライヴイン・シアターにただひとり)
 
 
 
歌詞はなんだっけ。
 
あ、インストゥメンタルだ。
 
シアターにただひとり、ただひとり、、
 
スイートルームにただひとり、、
 
 
ははは、だめだ。
 
 
 
旅に出るかー
 
 
そんな不純な動機と高熱にうなされていた故、出発の2時間前まで悩んだが
 
既にカバンの中にはカメラと旅の手帳とアメニティが放り込んであった。
 
そんな自分に呆れながらロキソニンを倍量飲み、家を出た。
 
 
Sun,February 21,4:15PM  
上野駅13番ホーム
 
たくさんの警備員と野次馬達をかき分け、寝台特急カシオペアに乗り込んだ。
 
新婚旅行やフルムーンにもよく使われるメゾネットタイプのスイートルームは一人では勿体無いほど広く、そして整っていてた。
 
落ち着かない僕はおもむろに荷物を置き、2階のシャワールームで熱々のシャワーを浴びた
 
汗だくでメゾネット2階のリビングのソファーにどかっと座り、いつもは観ないテレビをつけ、缶ビールをあおった。
 
小洒落たウェルカムドリンクが運ばれてきたが、なんだかかしこまった感じが小っ恥ずかしく、ワインのボトルをアイスペールにグサッと差し込んで、車内販売で買った缶チューハイを流し込んだ。
 
体温、39.2度。
自分の無計画さに呆れながら暮れ行く車窓を眺めていた。
 
寝台特急カシオペア」は夜の帳が下りた東北本線をひた走り、カタカタと心地よい揺れは僕の心を徐々にスイートルームへと誘ってくれた。
 
注文したルームサービスをつつき、さっき雑にアイスペールで冷やしたワインのコルクを抜いた。
 
グラスにワインを注ぎ、時折通過する駅の明かりだけが差し込む漆黒の車窓を眺めていると
 
 
 
 
最近、ちょっとささくれてたなぁ
 
 
 
 
なんて、ふと心がため息を漏らした
 
そのまま僕はリビングルームで倒れるように眠りについてしまったー
 
 
Mon,February 22, 
 
スッと白い光が差し込み目が覚めたら、そこはもう北の大地だった。
 
1階に降りてみると、ベットはメイキングされたままの真っ新の状態
 
アホだなぁ。。なんのためのスイートだよ、、と頭を掻きつつ、届けられた紅茶を飲みながらルームサービスの朝刊に目を通した。
 
 
車窓は一面の銀世界
パウダースノーを巻き上げながら疾走する列車ー
 
 
気づけばその美しい景色に釘付けになっていた。
 
幾度となく寝台列車でこの場所を走った。
 
 
心の病に倒れ、失った自分の心を探しに旅立った2014年の夏
 
 
最後まで友情を貫こうと決意し、裏切られた2014年秋ー車内で長い手紙を書いた
 
 
親友と共に、惜別と新たな旅立ちを祝った2015年晩冬
 
 
線路と並走している国道は日本一周の時軽トラを一人ふっ飛ばした夢の路ー
 
 
たくさんの、たくさんの、はち切れそうな想いを乗せていつも旅をしたこの鉄路
 
 
 
そして2016年の今日ー
 
 
今回がこの鉄路を走る寝台列車での、最期の旅になる。
 
 
森町を出発した列車の車窓からは内浦湾が見えはじめた。
 
別れのさみしさを癒すように、そして自分の歩む道を照らすかの如く、朝の陽に照らされた噴火湾は穏やかにキラキラと輝いていたー
 
11:20AM 
札幌駅
寝台特急カシオペア」は定刻より3分遅れで終着の札幌駅に到着した。
 
デッキからホームに降り立つと、冷たい風がスイートルームとワインの酔いを醒ますようにふわっと吹き抜け、北のターミナル駅らしく、厚着をした人達が慌ただしく行き交っていた。
 
留置場へと向けて走り始めた「カシオペア」に心の中で手を振り、小樽行きの列車に乗り換えた。
 
最近はご無沙汰だったが、いつも行く場所は同じ。
 
小樽にある行きつけの寿司屋で昼飯を食い、運河沿いを歩き、石狩湾を眺めまた札幌へー
 
 
 4:30PM

高層ビルの展望室のソファーに座り、街並みを見下ろしながら静かに夕暮れを待った。

 
こんなにのんびりとしたのはいつぶりだろう。
 
 
 
”時間ではなく思考が止まる時”
 
 
 
これを人は癒しと言うのだろうー
 
 
ひらひらと舞い降りる雪と、遠く望む山々がにわかに茜色に染まった
 
 
 
大好きなテレビ塔が光を放ち
 
オレンジ色の街灯に、彼方まで続くテールランプの赤
 
そんな光たちに彩られた白い雪
 
 
 
好きだったレストランがなくなっていたり
 
昔手帳を買った本屋さんがコンビニに変わっていたり
 
流れる時とともに街も姿を変えるけれど
 
そんな過去に執着せず
 
 
今ここにある大好きなもの、空の高さ、風の香り、全てのものを胸に刻んで
 
明日はどんなことが起こるんだろうと、小さな希望を抱いて
 
 未来へ向かって歩いてゆこうと
 
そう決意したー
 
 
 
 10:15PM
 
寝台急行「はまなす」は宗谷本線から帰って来る列車を待って、20分遅れでホームを離れた
 
この列車とも今日でお別れだ。
 
 
 
 
人も街もモノも、永久に続くことはできない。
 
いつか終焉が訪れる
 
 
でも、なくなる故に愛しいという感情が生まれるし
 
その時がいつ来てもいいように
 
日々精一杯生きよう。
 
 
 
また戻りたい
 
 
大好きな街、北の都
 
 
いつか、また寝台列車の警笛が聞こえる頃に
 
 
ボンボヤージュ。
 
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*******travelrecord****************************************
Places visited : 

Ueno STN-Sapporo STN

Sleeper Limited EXP "CASSIOPEIA" room:private cabin

"CASSIOPEIA SWEET"カシオペアスイート


Ueno STN -Sapporo STN berth charge 52,440JPN

express fare 6,120JPN

 

Sapporo STN-Otaru STN 快速エアポートrapid "AIRPORT" U-seat(reserved seat)


LUNCH 

 

 

www.tripadvisor.com

 

 

DINNER

www.tripadvisor.com

www.tripadvisor.com

 

www.tripadvisor.com

 

Sapporo STN-Aomori STN

Sleeper  EXP "HAMANASU" Class B Sleeper
Sapporo STN -Aomori STN berth charge 6,480JPN

express fare 650JPN

 

Free Ticket Tokyo-Hokkaido "SOUTH HOKKAIDO Free Pass" みなみ北海道フリーきっぷ  23,660JPN


Shin-Aomori STN-Tokyo STN Shinkansen"HAYABUSA8"express fare 7,000JPN

 

MOVIE
”GREASE”

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1978 American musical romantic comedy film directed by Randal Kleiser and produced by Paramount Pictures.


Lead Cast
・John Travolta as Danny Zuko
Olivia Newton-John as Sandy Olsson

 

"Alone at the Drive-in Movie"

youtu.be

****************************************Buon Viaggio!*****

 
 

回想―晩秋の北海道にて

晩秋の北海道を訪ねた。

日本の西や南に住む人にとっては冬の空気と感じるだろうが

僕はこの北海道の冷たい”晩秋”が大好きだ

 

空の高さ、風の香りと冷たさ

 

過去には帰らないことにしているが

 

1年前、夜汽車に乗り、この街にたどり着いたことを思い出した。

 食堂車でハンバーグステーキを頬張って、幸せを感じて涙したこと

今までの人生と向き合い、決別し、真っ当に生きていこうと決めたこと

その傍らで

 裏切りや金、愛する人、もう諦めようと思ったこと

 

そんなささくれた心を優しく包み

過熱した心身を冷まし、癒してくれたのが北の街に吹く晩秋の風だった。

 

 

拳を握りしめ、高く澄んだ空を見上げたー

 

北の夜は早く、気付けば星屑が舞い降りるように

白い雪がふわりふわりと空から落ちてきた

 

街路樹は美しくイルミネーションに包まれ

 

恋人達は手をつなぎガラス張りのショーケースを覗いている

 

 

 

 

”しがらみも、金の事も、何もなかった過去に帰りたいかい?”

 

 

そう聞かれたらどう答えるだろう

 

多分

「ほんのちょっとね」

と答えるだろう。

 

後悔がない訳じゃない

ただ変えられるのは未来だけだから。

 

夢は形を変えながら未来へと続き

胸にはいつも希望を携えて

 

何度失敗しても

北の街が僕の心を憂い、その哀しみを奪い去ってくれる

 

 

夢の街に向けて寝台特急がプラットホームから離れていった―

 

大好きだった赤い列車は、もうここには戻らない

 

 

 

”戻れないからいいんだろう?”

 

 

それでいいんだ。

 

息が詰まったら、苦しくなったら、道に迷ったら

 

またこの街に逢いに来ればいい

 

 

そう心に決めて

 

 

 

 

後ろを振り向かず、ボーディングブリッジを渡った

 

 

 

 

 帰り道、あなたに逢いたい

 

 

 

そう思いながら。

 

 

 

 

ボンボヤージュ。